STORY 01 / 2012 LONDON柄を読む男 — Phil Ivey
2012年8月、ロンドンの高級カジノCrockfords。Punto Bancoの卓で約730万ポンド(約1200万ドル)の勝ちが記録された。だが支払われたのは元手の100万ポンドだけだった。カジノの言い分は「エッジソーティング」だった。カード裏柄のわずかな非対称を読み、表裏の向きで有利な札を見分ける技術だ。
Iveyは不正を強く否定した。使うカードをGemaco製に指定し、向きを変えるようディーラーに求めたことは認めたが、それは技術の範囲だという立場だった。2014年にはAtlantic CityのBorgataが約1560万ドルを提訴。同じGemaco製カードが再び俎上に載った。裁判所の判断はいずれもカジノ側を支持する方向に傾き、2件目は調停で和解した。
この事件の読みどころは勝敗ではない。不正と技術の境界線がどこにあるかだ。カジノは「道具の欠陥の利用は不正」とし、Ivey側は「見えるものを見ただけ」とした。バカラが運だけのゲームではなく、観察のゲームであることを、皮肉な形で証明した事件だった。
STORY 02 / 1990 MACAU—ATLANTIC CITY豪傑「The Warrior」 — Kashiwagi
富士の麓で山案内人をしていた男が、不動産で財を成し、バカラ卓の伝説になった。柏木昭男、カジノ界での通り名は「The Warrior」。1回10万ドル、一昼夜80時間打ち続けることもあったという。
1990年1月、オーストラリア・ダーウィンのDiamond Beachで約2200万ドルを勝つ。同年5月、Trump Taj Mahalとの6日間の勝負で1000万ドルを失った。区切りの額をめぐって1000万ドル説と1200万ドル説が対立し、600万ドルを支払ったところで残額が払えなくなった。スイートには海の見える部屋、グランドピアノ、80万ドルの翡翠の仏像。バカラ卓は彼のために予約された。
1992年、彼は自宅で殺害された。犯人は見つかっていない。勝負の終わらせ方をめぐる対立が、何を残したのか。日本人とバカラの最も深い接点を、記録だけが語っている。
STORY 03 / 1953 LONDONスパイのゲーム — 007
1953年、イアン・フレミングの最初のボンド小説『カジノ・ロワイヤル』。ル・シッフルとの対決の舞台はバカラの一種、シュマン・ド・フェールだったとされる。静かなサロン、回されるバンク、選ぶ自由のある古典形式。スパイの品格とバカラの所作は同じ布で仕立てられていた。
2006年の映画版では対決はテキサス・ホールデムに置き換えられた。時代の要請だったのだろう。だが原作と映画の違いこそが読み物だ。なぜバカラだったのか、なぜポーカーになったのか。その答えは、半世紀のカジノ文化の変化そのものにある。