BACCARAT / TRUE STORIES

バカラを変えた勝負:記録に残る3つの物語

ルールの次に読むのは人間だ。天才と豪傑とスパイの3話。

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マカオのバカラ卓の実景

マカオのバカラ卓の実景(イメージ)。Photo: Wikimedia Commons (CC BY-SA 4.0)

STORY 01 / 2012 LONDON

柄を読む男 — Phil Ivey

2012年8月、ロンドンの高級カジノCrockfords。Punto Bancoの卓で約730万ポンド(約1200万ドル)の勝ちが記録された。だが支払われたのは元手の100万ポンドだけだった。カジノの言い分は「エッジソーティング」だった。カード裏柄のわずかな非対称を読み、表裏の向きで有利な札を見分ける技術だ。

Iveyは不正を強く否定した。使うカードをGemaco製に指定し、向きを変えるようディーラーに求めたことは認めたが、それは技術の範囲だという立場だった。2014年にはAtlantic CityのBorgataが約1560万ドルを提訴。同じGemaco製カードが再び俎上に載った。裁判所の判断はいずれもカジノ側を支持する方向に傾き、2件目は調停で和解した。

この事件の読みどころは勝敗ではない。不正と技術の境界線がどこにあるかだ。カジノは「道具の欠陥の利用は不正」とし、Ivey側は「見えるものを見ただけ」とした。バカラが運だけのゲームではなく、観察のゲームであることを、皮肉な形で証明した事件だった。

事実:2012年8月Crockfords約730万ポンド、2014年Borgata約1560万ドル提訴、Gemaco製カード、調停和解。出典:Phil Ivey (Wikipedia)。金額は報道ベース。
STORY 02 / 1990 MACAU—ATLANTIC CITY

豪傑「The Warrior」 — Kashiwagi

富士の麓で山案内人をしていた男が、不動産で財を成し、バカラ卓の伝説になった。柏木昭男、カジノ界での通り名は「The Warrior」。1回10万ドル、一昼夜80時間打ち続けることもあったという。

1990年1月、オーストラリア・ダーウィンのDiamond Beachで約2200万ドルを勝つ。同年5月、Trump Taj Mahalとの6日間の勝負で1000万ドルを失った。区切りの額をめぐって1000万ドル説と1200万ドル説が対立し、600万ドルを支払ったところで残額が払えなくなった。スイートには海の見える部屋、グランドピアノ、80万ドルの翡翠の仏像。バカラ卓は彼のために予約された。

1992年、彼は自宅で殺害された。犯人は見つかっていない。勝負の終わらせ方をめぐる対立が、何を残したのか。日本人とバカラの最も深い接点を、記録だけが語っている。

事実:1990年1月ダーウィン約2200万ドル、5月Taj Mahalで6日間1000万ドル、600万支払い、1992年殺害・未解決。出典:Akio Kashiwagi (Wikipedia)。金額・経緯は報道ベース。
STORY 03 / 1953 LONDON

スパイのゲーム — 007

1953年、イアン・フレミングの最初のボンド小説『カジノ・ロワイヤル』。ル・シッフルとの対決の舞台はバカラの一種、シュマン・ド・フェールだったとされる。静かなサロン、回されるバンク、選ぶ自由のある古典形式。スパイの品格とバカラの所作は同じ布で仕立てられていた。

2006年の映画版では対決はテキサス・ホールデムに置き換えられた。時代の要請だったのだろう。だが原作と映画の違いこそが読み物だ。なぜバカラだったのか、なぜポーカーになったのか。その答えは、半世紀のカジノ文化の変化そのものにある。

事実:1953年フレミング初ボンド小説、2006年映画版はホールデム。出典:Casino Royale (novel) (Wikipedia)。原作のゲーム形式は周知ベース。

結び:物語は楽しみ、罫線は記録。3つの勝負に共通するのは、バカラが運だけのゲームではなかったことだ。観察、所作、文化が卓を形作る。だが物語の興奮を、そのまま次の結果の予測に持ち込んではいけない。記録は記録として電光掲示に、物語は物語として本棚に。それがこのサイトの読み方である。

実在人物の扱い:検証済み事実のみを記し、係争の断定・死因の推測は書かない。金額は報道ベースと明記する。物語を読んだ後に賭場へ誘う構成にしない。

フォトギャラリー

バカラのパレットとカード
TOOL絞りに使う道具。
Photo: Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)
カードシュー
TOOLカードを収める箱。
Photo: Public domain
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